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福岡高等裁判所 昭和52年(ネ)602号 判決

《住所省略》

控訴人 鐘淵化学工業株式会社

右代表者代表取締役 大澤孝

右訴訟代理人弁護士 荻野益三郎

同 塚本宏明

同 蝶野喜代松

同 好川照一

同 丹羽教裕

同 藤巻次雄

同 松浦武

同 白石健三

同 原井龍一郎

同 谷本二郎

同 石川正

同 西村寿男

《住所省略》

被控訴人兼被控訴人窪田元次郎承継人 窪田絹子

〈ほか四三名〉

右被控訴人ら訴訟代理人弁護士 原口酉男

同 竹之下義弘

右訴訟復代理人弁護士 竹原重夫

同 松尾紀男

主文

一  原判決を次のとおり変更する。

二  控訴人は被控訴人らに対し別紙〔四〕認容金額一覧表中「認容金額」欄記載の金員及びこれに対する昭和四四年二月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被控訴人らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は第一、二審を通じこれを四分し、その一を被控訴人らの、その余を控訴人の負担とする。

五  この判決の第二項は仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

2  被控訴人らの請求を棄却する。

3  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

との判決

二  被控訴人ら

1  本件控訴を棄却する。

ただし、被控訴人窪田元次郎、同樋口泰滋死亡に基づく訴訟承継により、該被控訴人らの請求を次のとおり改める。

(一) 控訴人は、被控訴人窪田絹子に対し金二五六六万六六六六円、被控訴人渡辺理恵子に対し金一九六一万一一一一円、被控訴人井上真理子に対し金二一八一万一一一一円、被控訴人窪田元恢に対し金五七一万一一一一円及び右金員に対する昭和四四年二月二八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 控訴人は、被控訴人樋口ヒサに対し金一九〇六万六六六六円、被控訴人北川洋子に対し金三四四万四四四四円、被控訴人樋口英俊に対し金一七三四万四四四四円、被控訴人樋口達谷に対し金一七三四万四四四四円及び右金員に対する昭和四四年二月二八日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

(三) 訴訟費用は第一、二審を通じて控訴人の負担とする。

(四) 右(一)、(二)項について仮執行の宣言。

2  控訴費用は控訴人の負担とする。

との判決

第二当事者の主張

一  請求原因

被控訴人らの請求原因は、次のとおり付加、訂正するほか原判決事実摘示(原判決B2頁一五行目からB20頁一二行目まで)中控訴人に関する部分と同一(ただし、同B15頁四行目の「満八年」とあるのを「満一四年」と改める。)であるからこれを引用する。

原判決B20頁五行目の次に次のとおり付加し、同頁六行目の「(四)」とあるのを「(五)」と改める。

「(四) 原審口頭弁論終結後における油症患者の相続関係は次のとおりである。

(1)  被控訴人窪田元次郎は、昭和五二年三月一七日死亡し、同人の相続人は妻窪田絹子、長男窪田元恢、長女渡辺理恵子、二女井上真理子の四名であって、窪田絹子は右元次郎の妻として同人の権利の三分の一を、窪田元恢、渡辺理恵子、井上真理子は右元次郎の子として同人の権利の各九分の二を相続した。

(2)  被控訴人樋口泰滋は、昭和五五年二月一六日死亡し、同人の相続人は妻樋口ヒサ、長女北川洋子、長男樋口英俊、二男樋口達谷の四名であって、樋口ヒサは右泰滋の妻として同人の権利の三分の一を、北川洋子、樋口英俊、樋口達谷は右泰滋の子として同人の権利の各九分の二を相続した。」

二  請求原因を理由付ける事実、法律上の主張及び控訴人の主張に対する認否、反論は、原判決第二分冊中の被控訴人ら準備書面(一)ないし(四)記載のとおりであるからこれを引用する。

三  控訴人の請求原因に対する答弁は、次のとおり付加するほか原判決事実摘示(原判決B24頁一行目からB27頁六行目まで)と同一(ただし、フランジ説の部分を除く)であるからこれを引用する。

1  原判決B26頁九行目の次に改行して次のとおり付加する。

「本件事故は、後記のとおり、カネミ倉庫株式会社(以下「カネミ倉庫」という)の一号脱臭缶改造工事の際の工作ミスによってカネクロールがライスオイル中に漏出したが、カネミ倉庫において右汚染油を再脱臭して出荷したため発生したものであり、控訴人の注意義務懈怠との間には因果関係はない。」

2  前示原審口頭弁論終結後における油症患者の相続関係の事実は認める。

四  控訴人の予備的主張(抗弁)

仮に、控訴人の行為が本件油症事故の発生になんらかの寄与をしたと認められるべきであるとしても、本件油症事故の発生は、カネミ倉庫の反社会的、犯罪的行為によって惹起されたものであり、さらにカネミ倉庫及び訴外国がダーク油事件発生時に当然に汚染油の存在並びに汚染油からの本件油症被害の発生を予測し得たにも拘らず、なんら的確な事故拡大回避措置を採らなかったことによるものであって、これらの点に比べると控訴人の本件事故に対する寄与の度合はきわめて僅少なものと言わなければならない。

このように、結果の発生に対する寄与度が顕著に異なる場合には、それぞれの寄与度に応じて相当因果関係の範囲を画することが衡平の原則に適う所以であるから、控訴人についてはその寄与度に応じた責任の分割、減縮が認められるべきである。

五  控訴人の事実上及び法律上の主張並びに被控訴人らの主張に対する反論は、控訴人主張のフランジ説に係る部分を除き後記当審における補足的、追加的主張を加えるほか、原判決第三分冊中の準備書面(七)、(八)記載のとおりであるからこれを引用する。

六  控訴人の追加的、補足的主張

1  本件事故の原因としての工作ミス説について

(一) 本件事故は、被控訴人らが主張するように、六号脱臭缶のカネクロール蛇管に生じたピンホールからカネクロールが食用油中に混入して発生したものではない。

本件事故は、カネミ倉庫の従業員が昭和四三年一月二九日一号脱臭缶の温度計部分の改造工事中に起こした熔接工事のミスによって同号缶のカネクロール循環コイルに孔をあけ、これにより大量のカネクロールが米糠油に混入したが、カネミ倉庫においてこれに気付き、この汚染油を一旦は脱臭缶から回収保管したものの、これに脱臭操作を加えることによってカネクロールを除去し食用油に再生しようと企て、同年二月上旬ころ実行に移し、カネクロールが十分除去されたことも確認しないで製品として出荷したことによるものである。

(二) カネミ倉庫は、昭和四二年一〇月ころ、脱臭缶内の油温測定についてそれまでの各缶別の棒状水銀温度計による方法を、脱臭缶から離れた場所において各脱臭缶内の油温を集中的に読み取ることが出来る隔測温度計による方法に変更したが、右変更工事において、従来使用していた棒状水銀温度計の保護管を隔測温度計の検知端を収納する管としてそのまま用いることとし、検知端の温度を良好にするため、検知端が直接油に接触するよう右保護管の先端部分に孔をあけた。その方法としては、脱臭缶の外側より電気熔接棒を保護管に差し込み、約五〇〇ミリメートル奥のその先端部分を熔融開孔させる方法によった。

ところが、昭和四三年一月下旬ころ、一号脱臭缶の温度検知状態が不良となったため、前記工事によってあけた保護管先端部分の孔が油で詰まっているものと推定し、同月二九日営繕課第一鉄工係員権田由松によって前同様の方法で右孔の拡大工事が行われたが、その際同人が電気熔接棒を保護管内に突っこみすぎ、保護管先端から至近の距離にあるステンレス製カネクロール循環コイルを熔融させこれに孔をあけた。そして、関係者がこれに気がつかないまま脱臭作業が行われたため右孔からカネクロールが食用油に漏出した。

同月三一日になってカネミ倉庫の従業員は右漏出の事実を知り、脱臭係員川野英一らによって右孔から漏出したカネクロールを含む約三ドラムの汚染油は回収タンクに回収された。

その後、カネミ倉庫は、同年二月二日ころからこの汚染油を食用油として再生することを試み、森本工場長の「正常油に少しずつまぜて脱臭するように」との指示により、正常油と混合させながら再脱臭を行った。当時試験室長をしていた今津順一がカネクロールは再脱臭すれば飛ぶと言っていたので、カネミ倉庫は汚染油を再脱臭してまで出荷したものと思われる。

(三) 本件油症事件はカネクロールが大量に漏出した事件であって、このように大量漏出事故が発生したならば脱臭工程の操業は操業量の低下、場合によっては操業停止という異常事態が発生するはずであるところ、改ざんされているカネミ倉庫の操業記録を復元して解析してみると、同年一月二九日から同月末までの間にカネミ倉庫において脱臭工程の異常(操業停止)が発生していることが判明した。これは右工作ミス説を裏付けるものと言うべきである。

(四) 本件油症事故においては、二〇〇ないし三五〇キログラムという大量のカネクロールが米糠油に漏出、混入しているのであるから、このように大量のカネクロールの漏出事故が発生した場合には当然この損失分を補給する必要が生じる。

カネミ倉庫は、同月三一日三油興業株式会社九州営業所にカネクロールを緊急手配し、右三油興業はこれを受けて一旦日新蛋白工業株式会社に納入していた五〇キログラムのカネクロールと吉富製薬株式会社から借り受けた二五〇キログラムのカネクロールをカネミ倉庫に納入している。右カネクロールの補給状況は、油症事故の原因がピンホールではなく工作ミスによるものであることを裏付けるものである。

(五) カネミ倉庫は同月三一日突然に六号脱臭缶の試運転を行ったが、その稼働再開と同時に一号脱臭缶は運転が停止され、しかも同年二月中に同缶が運転していなかったこと自体を隠蔽している。これは右工作ミスによって一号脱臭缶が使用不能になった結果、代替缶として六号脱臭缶を稼働させたものとみるべきである。

なお、後日試験日報の記載中脱臭缶番号⑥とあるのがカネミ倉庫の係員二摩初によって①と書きかえられたことは、右工作ミスという重大事故を隠蔽するための改ざんにほかならない。

(六) ピンホール説の最大の論拠は九大鑑定であるが、そもそも九大鑑定は油症事故の原因事実を全般的に解明するために行われたものではなく、六号脱臭缶内のカネクロール循環コイルに発見されたピンホールの形状、成因、同孔からのカネクロール漏出量について検討するためのものであり、かつそれに止まるものである。しかも、九大鑑定が示しているピンホールの開孔(短時日のみの開孔)及びその後の閉塞の可能性は実証を伴わない根拠の薄弱な推測にほかならず、現実性を欠いている。

(七) その他、ピンホール説では、前記事故ダーク油中のカネクロールの化学的組成がカネミ倉庫で使用中のカネクロールよりも低沸点成分が少く高沸点成分が多いパターンであることや、カネミ倉庫で何故カネクロールの大量漏出を看過したのかについて、合理的な説明をすることができず、工作ミス説によってのみその合理的な説明が可能である。

(八) 以上のとおり、本件油症事故はカネミ倉庫の工作ミスによって発生したものであるが、カネミ倉庫はカネクロールの大量漏出を知った時点でこれを廃棄するか或いは他の無害な工業用途に転用するかの措置を採ることによって、汚染された食用油による危険を自己の責任において防止すべきであったのに、それらの方法を選ばず、あえて未経験、未確立のリスクを伴っている再脱臭という方法を選んだ。

そして、カネミ倉庫は右脱臭油の安全性について確信を持たないまま、むしろ危険であると感じながらこれを出荷したものであって、その行為は反社会性の著しい犯罪的性格のものと言わざるをえない。

控訴人としては、カネミ倉庫がこのような反社会的行為をあえて犯すであろうことは予見することができず、また予見義務もないと言うべきである。そこで、控訴人は、当審において右工作ミス説による主張をもって第一次的主張とするものである。

2  因果関係の遮断について

カネミ倉庫は、カネクロールの大量漏出を知り若しくは少くともこれを疑うべき事情にありながら、汚染された食用油を廃棄するなどの適切な対応措置をとることなく右食用油を出荷したものであって、カネミ倉庫にこのような固有かつ重大な過失がある場合には、控訴人がカネクロールの毒性について調査及び情報提供の義務があり、これを怠ったとしても、本件油症事故との間の因果関係は遮断されているものであって、相当因果関係はないと解すべきである。

3  PCBの毒性について

被控訴人らは、PCBが有毒な危険物質であり、本件油症事故前からドリンカーらの報告によってその危険性が認められていたかのように主張するが、少なくとも本件油症事故発生前においては、PCBの危険性に対する知識は相対的に殆んどなく、かえってその急性毒性値は低く、PCBは低毒性であるとドリンカーらによって報告されていたくらいであって、一般にもそのように理解されており、これを食品工業も含めて産業上使用するについては労働環境面から吸気暴露に注意を促されていただけの月並の工業薬品にすぎないものである。今日問題となっているPCBの毒性は、当時予想しなかった蓄積毒性の問題である。

また、カネミ油症の原因となった物質はPCBそのものではなく、むしろPCDF、PCQであって、これらの物質はカネミ倉庫が前記工作ミスによって大量の熱媒体を食用油中に混入させた汚染油を再脱臭し、PCBを特に過熱したことによって生じたものである。本件油症事故当時PCBからこのような油症の原因物質が生成されることは、何人も知らなかったことである。

したがって、控訴人に、この点に関する調査、研究の義務とその結果に基づく警告義務があったことを前提にして、本件油症中毒事故の責任を求めることは許されないことである。

4  損害論について

(一) 油症は、皮膚粘膜症状以外に他覚所見はみられず、殆んどの者に生活障害はない。そして皮膚粘膜症状も重い人はごく少数であり、他覚的所見のない愁訴が油症の中心的症状として被控訴人らから主張されているのが現状である。被控訴人らの主張する愁訴や生活障害は通常人でも一般にあるものであるから、それが油症に由来するかどうかは通常人と比較して油症に有意に多いかどうかによって判断されるべきである。

ところで、長崎県油症研究班が昭和五〇年四月長崎県五島で小学生及び中学生を対象にして検討した結果によると、油症児には若干の成長抑制があるといわれてきたが、油症後七年目に当たる昭和五〇年においては若干の成長の遅れも回復し通常人と変わらない水準になっている。成長の遅れが回復したということは、それ以前に一旦遅れていた成長について、ある時期から正常人よりも早い成長速度をもって次第に追いついたということであり、このことは成長が追いついた時点よりかなり早い時期にPCB濃度が成長についての障害因子とならない無作用量まで低下していることを示すものである。

また、経胎盤油症児(いわゆる黒い赤ちゃん)についても、右研究班が三才児一般健診のデータをもとに発育について検討した結果、三才児の時点では、女子で体重が軽く身長がやゝ低い傾向がみられるが男子においては体重、身長、胸囲とも有意差がみられなかった。

さらに、九大油症治療研究班の内科的所見では血清γ―GTP活性、GPT、血清アルカリフォスファター、血中トリグリセライド(中性脂肪)等の数値はいずれも正常範囲にあり、現在油症患者と一般正常人とを区別する所見はないものと言うべきである。

(二) 油症はPCBとその誘導体摂取による中毒症であるが、その障害は回復可能な機能的障害である。薬理学上の大原則として、原因物質の量と作用の強さは比例すると考えられており、これはドーズ・レスポンス(量に応じて生体が反応する)と言われるものである。したがって、機能障害の場合には体内から原因物質が少なくなってくれば障害も少なくなってくるものであり、体内から原因物質がなくなれば機能的障害はもとに戻ってなくなるものと言われている。現在でも油症患者の一部に皮膚粘膜症状が残っているけれども、血中PCB濃度は当初に比べ著しく低下していること、内科的症状は初期において皮膚症状の重い人の一部に軽度の障害がみられたが昭和四七年以降にはみられていないことからして、皮膚症状の重い人であっても現在症状としてはそれのみであり他の症状はないと考えてよいと思われ、当初から皮膚症状の軽かった者については油症による内科的症状などは全く考えることができないものである。

そして、油症患者のうち当初から皮膚症状の重かった者は少なく、軽かったものが大多数であり、経時的には皮膚症状は顕著に改善されているから、被控訴人らの殆んどは油症として全く治癒しているか或いは殆んど治癒していると考えてしかるべきものである。

(三) 油症と死亡との因果関係について、当審における症状鑑定によれば、基礎疾患を持っていたものに対して油症の罹患がなんらかの負荷因子となった可能性は否定できないが、各人の死因と油症との因果関係は不明であるという。鑑定人らが関与していた九大油症研究班が油症発生から今日に至るまで、油症患者の死亡者について機会があれば剖検して油症との因果関係を検索し、その他油症についていろいろの角度から動物実験も行ってきたにも拘らず、油症との因果関係は認められていないのであるから、油症と死亡との間には因果関係はないと考えるべきである。

第三証拠《省略》

理由

(証拠関係略)

第一当事者

当事者については原判決理由説示(原判決C1頁一〇行目から一一行目まで)と同一であるからこれを引用する。

原審口頭弁論終結後の被控訴人らの相続関係については当事者間に争いがない。

第二本件油症事件の発生の経緯と概況について

油症事件の経過と概要については、原判決理由説示「油症事件の概要」(原判決C1頁一三行目からC12頁九行目まで)及び「油症研究班分析部会の研究経過と結果について」(原判決C42頁三行目からC47頁一行目まで)のとおりであるからこれを引用する(ただし、原判決C2頁三行目に「倉垣」とあるのを「倉恒」と訂正する)。

第三本件油症事故の原因解明について

一  カネミ倉庫におけるライスオイルの製造工程とカネクロールについて

カネミ倉庫におけるライスオイルの製造工程(原判決C13頁一行目からC20頁一四行目まで)、カネミ倉庫での脱臭装置の増設経過と製品の検査方法(原判決C20頁一五行目からC30頁一四行目まで)、カネクロール四〇〇の概念と性質(原判決C30頁一五行目からC42頁二行目まで)については、いずれも原判決理由説示のとおりであるからこれを引用する。

二  カネクロールの混入経路について

本件油症事件は、カネミ倉庫がライスオイル製造の脱臭工程で使用していたカネクロール四〇〇がライスオイルに混入したため発生したものであるが、右カネクロール四〇〇の混入経路について、被控訴人らは、六号脱臭缶内のカネクロール蛇管に腐蝕孔(ピンホール)が生じ、右ピンホールには日ごろ充填物がつまっていたところ、昭和四二年暮ごろ修理した際に衝撃等のため欠落し、昭和四三年一月三一日同号缶の試運転開始以来同年二月上旬にかけて右ピンホールからカネクロールが漏出混入したと主張する(以下「ピンホール説」という)。

これに対して、控訴人は、原審において六号脱臭缶の内部にある内筒外側の加熱パイプのフランジからカネクロールの漏洩が起こったものと主張していたが、当審で右主張を撤回し、事故原因について、カネミ倉庫が昭和四三年一月二九日一号脱臭缶の隔測温度計保護管先端の熔融工事をした際、従業員権田由松の工作ミスによって、同号缶内のカネクロール蛇管に孔をあけられ、その孔からカネクロールが食用油中に漏出したものであるが、カネミ倉庫において、右カネクロールの混入した汚染油を一旦回収タンクに回収したものの、正常油と混合しながら再脱臭を行い、右再脱臭油を点検することなく出荷した結果、本件事故が発生したと主張する(以下「工作ミス説」という)ので、この点について以下検討する。

三  ピンホール説と工作ミス説

1 ピンホール説は九大鑑定と六号缶におけるピンホールの存在を根拠とするものであるが、右ピンホール説の概要については原判決理由説示「九大鑑定(ピンホール説)について」(原判決C61頁三行目からC75頁一二行目まで)と同一であるからこれを引用する。

2 工作ミス説は、右ピンホール説ではピンホールの開孔、閉塞についての科学的論拠を欠き、カネクロールが一時に大量に漏出したこと、それをカネミ倉庫の従業員が看過したこと等を合理的に説明することができないとして主張されたものであるが、まず右主張を裏付ける直接的な証拠として、カネミ倉庫の元脱臭係長樋口広次をめぐる一連の証拠、つまり丙第三六二号証(加藤八千代の講演記録並びに引用の書簡についてと題するものの公正証書)中に資料として添付された樋口広次から加藤八千代に宛てた手紙、丙第三六一号証(弁護士松浦武と樋口広次の対談記録の公正証書)並びに丙第三四五号証(小倉カネミ控訴審、樋口広次証人尋問調書)が存在するので以下右各証拠について検討する。

(一) 丙第三四五号証によれば、樋口広次は小倉カネミ控訴審において証人として尋問されたが、工作ミスに関連する事項についての質問に対しては終始沈黙してなに一つ答えていない。

そして、右証人尋問に先立ち、弁護士松浦武及び控訴会社の総務部長佐藤宏夫が右樋口と面接し、右面接の一部始終を録音テープに採り、これを再現したものが丙第三六一号証の対談記録(丙第六三五号証によれば、同対談記録は松浦弁護士が樋口本人の承諾を得ないまま秘密裡にテープに採取したものである)であるが、長時間に亘る対談の中で、樋口は松浦弁護士の積極的な誘導に対してあいまいなどうとでも取れる言葉でこれに応じていることが多く、事故の原因について自らの発言に責任を負わなければならないような決定的な事柄を自分の方からは何一つ発言していないのであって、工作ミス説の概要を把握するためには前記丙第三六二号証中の手紙及び丙第六三五号証(小倉カネミ二陣訴訟、松浦武の証人尋問調書)を参酌しなければ、その意味を十分捕捉することができないのである。

前示のように、対談の様子を秘密裡にテープに採取され、密室の中で対談の相手方以外の者を顧慮する必要が殆んどないとみられる場合においてさえ、状況の説明についてこのような発言に止まっていることに徴すると、そのまま素直に信憑性を首肯することができないものと言うべきである。

(二) そこで、樋口広次が加藤八千代に宛てた手紙について仔細に検討してみるに、右手紙は昭和五五年七月一二日付と同年九月一一日付の二通が存在し、後者の手紙中には工作ミス説の内容を詳述した①ないし⑨と番号を付された部分と①ないし⑥と番号を付された別便かとも思われる部分とがあるが、右工作ミス説を詳述した部分は、多少の誤字、脱字はあるもののかなり難しい漢字を使用して工作ミス説の経過を理路整然と述べているのに対して、別便かとも思われる部分においては、多少難しい漢字については、カシツ(過失)、レイグう(冷遇)、ケイジ(刑事)、ジサツシャ(自殺者)、せき人(責任)というような使い方になっており、その著しい差異と、当審証人二摩初の証言により、樋口がカネミ倉庫に入社する際に世話した二摩初が樋口さんは余り字を知らないのでと述べていることが認められることに照らしても、右工作ミス説の記述が本人の記憶に基づいてそのまま記載されたものかどうか些か疑問なしとせざるをえない。

(三) また、《証拠省略》によれば、樋口広次は昭和四三年一一月以降数か月に亘ってカネミ油症における業務上過失傷害被疑事件の被疑者としての取調べを受け、カネミ倉庫から加藤社長、森本工場長のほかに一介の脱臭係長に過ぎない自分だけが被疑者とされたのに対して担当責任者の一人とも言うべき自見精製課長補佐や同僚の川野英一がその追及を免れているうえ今津研究室長からも事故の原因が樋口の脱臭缶の空だきに由来するのではないかと責められいたく憤激していたこと、同年一一月二四日ころ新聞紙上において樋口も起訴を免れないものと報道されていたこと等が認められるところ、樋口がそのころ工作ミス説の実態を知っていたとすれば、自分に対する刑事責任の追及を免れるため自分としてはかかわりのない工作ミスに言及するのがむしろ自然のことではないかと思われるのに対し、どうして今さら工作ミスに関する供述ないし加藤八千代に対する手紙を書くようになったのか、そのいきさつについても容易に納得し難いものがある。

(四) しかも、《証拠省略》のカネミ倉庫の鉄工係日誌中に同年一月二九日隔測温度計保護管先端の孔の拡張工事について何ら記載が存しない。

3 ついで、工作ミス説のその他の論拠について検討する。

(一) 控訴人は、工作ミス説を裏付ける証拠の一つとして、カネミ倉庫における操業記録の改ざんと、昭和四三年一月二九日から同月末まで脱臭工程の異常操業(操業停止)が生じたこと(このことは右操業記録の分析により明らかであるとする)をあげており、これは同月二九日に異変の原因が発生したことを示すものであると主張する。

丙第四四号証(試験日報、昭和四三年一月分)、第四六号証(同、同年二月分)、第四八号証(精製日報、昭和四三年度分)、第五九号証(ウインター日誌、昭和四三年一―三月分)を点検すると、確かにかなりの箇所に書きかえ、書き加えた形跡が認められ、また《証拠省略》によれば、森本工場長は丙第四八号証中の同月末における記載を後日書き加えたことを認め、《証拠省略》によれば、二摩初は丙第四六号証中の脱臭缶番号が⑥と記載してあるのを①と書きかえたことを認めており、すでに捜査の過程で右記録の改ざんが問題とされていたものであるが、右改ざんの事実は認められたもののその動機、経過についてははっきりせず、本件全証拠によるもこれをつまびらかにすることができない。

そして、これらの書き直し、書き加えの部分は、書きなぞり或いは抹消して書き加える等一見して書き直した形跡を窺わしめるものがかなりの部分を占め、さらに関連記録と対照するとたやすくその改ざんを指摘しうるのであって。もし、これが、控訴人の主張するようにカネミ倉庫が会社ぐるみで行った工作ミスを隠蔽するための大掛りな帳簿の改ざん行為であるとすれば、このように痕跡の比較的明らかな改ざん行為をどうしてあえてなしたのか納得し難いところである。

しかも、《証拠省略》によると、昭和四三年一月二七日の脱臭油の抜き取り検査の酸価は〇・一三三、〇・二四七であって、これはカネミ倉庫の製品規格として定めている通常の脱臭油の酸価がサラダ油で〇・〇六以下、白絞油で〇・一以下とされているのに比較するとはるかに高い数値が示され酸価の異常がみられるのであり、また《証拠省略》によると、同月二八日は日曜日で脱臭作業は停止しているはずであるのに脱臭係員樋口広次、平林雅秋、三田次男の三名が夕方まで勤務したことになっていて、通常の事態とは若干異なるものが予想され、右操業記録の改ざん等に異常なものがあったとしても、このことから直ちに同月二九日に事故が発生したものと断定することは出来ないものである(右のことから、控訴人は同月二七日に事故が発生したものと一度は考えていたものであるが、この出来事はピンホール説によっても工作ミス説によってもどうしてこういう事態が生じたのか説明のつきにくい事柄である)。

(二) 次に、控訴人は、前記事故ダーク油中のカネクロールの化学的組成がカネミ倉庫で使用中のカネクロールよりも低沸点成分が少なく、むしろ高沸点成分が多いパターンを示しているので、ピンホール説では右組成を説明しえず、工作ミス説によってのみ可能であるとする。

《証拠省略》によれば、事故ダーク油中のカネクロールの化学的組成は本来のカネクロールのそれとほぼ類似しているが、厳密に言うと本来のカネクロールよりも稍低沸点成分(三、四塩化物)が少なく相対的に高沸点成分(五塩化物)が多くなっているパターンを示していることが認められる。

《証拠省略》によれば、カネミ倉庫では脱臭工程で生じた飛沫油、あわ油等をダーク油に混ぜていたことが認められるところ(これに反する森本工場長の飛沫油やセパレータ油は原油に戻し、あわ油は海に流していた旨の《証拠省略》の記載は措信しない)、《証拠省略》によれば飛沫油中のカネクロールは本来のカネクロールに比較し稍低沸点部分が多く、あわ油やセパレータ油中のそれはさらに低沸点部分が多く含まれていることが認められ、飛沫油やあわ油をダーク油に混入したとすれば低沸点部分が多いパターンを示すはずではないかとの疑問が生じる。

しかしながら、他方前掲各証拠によれば、脱臭過程でカネクロールが食用油に混入しそのまま脱臭工程を経たとすれば、脱臭油中のカネクロール濃度は第一回の脱臭操作で約一二分の一に減少し、低沸点成分も顕著に減少を示すのに対し、本件食用油中に混入していたカネクロールの成分は低沸点部分は顕著に少なく殆んど高沸点の五塩化物を主成分とするものに変質していたことが認められる。右事実に照らすと、工作ミス説では工作ミスによって脱臭工程中にカネクロールの混入した食用油を一旦回収したうえその一部をダーク油にその他を食用油に混入したと言うのであるから、再度の脱臭をしたかどうかはともかく、第一回目の脱臭工程を経たことによってもダーク油中のカネクロールの成分は低沸点部分が著しく減少しているはずであるのに、ダーク油中のカネクロールのパターンはかえって本来のカネクロールに類似し稍その低沸点部分が少ないパターンを示しているのであって、これをもって工作ミス説の論拠とすることは当を得ないと言うべきである(事故ダーク油中のカネクロールの化学的組成について、ピンホール説によっても工作ミス説によってもその由来するところを合理的に説明するのは困難である)。

(三) 控訴人は、カネミ倉庫はダーク油事件が発生するや少なからぬ量の食用油をひそかに回収していたものであって、このことはカネミ倉庫がカネクロール汚染油の存在を知っていたことの証左であると主張する。

《証拠省略》によれば、昭和四三年二月下旬から同年三月上旬にかけて粕屋食糧販売協同組合を始め各業者から相当量の返品がなされていることが認められるが、本件全証拠によるも右返品がカネミ倉庫からの回収に応じてなされたものと認むべき証拠はない。

また、控訴人は、右返品が同年二月二六日から増えていること並びに同月二四日カネミ倉庫で部課長会議が開催されていることに着目し、右部課長会議と返品との間に密接な関連があるとみるべきであると指摘するが、単なる臆測にしかすぎず、右関連性を窺わしめる証拠もない。

しかも、右の主張は加藤三之輔社長が工作ミスによる事故原因を知って部課長会議を開催したことを前提とするところ、当審証人神力達夫の証言によると、油脂の専門家である同人は、かねて個人的に親しく交際していた加藤三之輔から一度事故現場を見て事故原因について意見を聞かせて欲しいとの依頼を受け、昭和四三年一二月二五日カネミ倉庫に赴き、押収中の六号脱臭缶を右加藤の案内により見分したことが認められ、右事実に比照すると、加藤三之輔が工作ミスによる事故原因を了知していたものとは到底認め難く、右加藤が当初から右事故原因を承知していたとする丙第三六二号証の記載は措信できない。

4 控訴人は、九大鑑定はピンホールが何故数日間だけ開孔しその後閉孔したのか、とくに閉塞の可能性についての科学的な論証を欠く推論にすぎないと非難する。

九大鑑定が右孔の閉塞の可能性について論拠とするところは、すでに判示したとおり(原判決C72頁一三行目からC73頁末行まで)であるが、その可能性が首肯されることは原判決理由説示(原判決C95頁一行目からC96頁一三行目まで)のとおりであるからこれを引用する。

付言するに、右のとおり、九大鑑定は一応相当の実験、試験を実施して右可能性を推論しているものであって、単に右推論が現実に可能となるかどうかをカネミ倉庫の営業運転中と同一の条件下で実験していないからと言って(そういった実験が当時可能であったかどうかも不明である)、これを科学的論証ないし厳密な実験を欠く推論として排斥することができないのは言うまでもない。《証拠省略》もなんら右認定を左右しえない。

5 ところで、本件油症事件においては、僅か数日間のうちにきわめて大量のカネクロールが漏出しているのであって、その量について正確に判定することは困難であるが、一応《証拠省略》によると、事故食用油中のカネクロールの量は約二〇ないし三〇キログラムと推算され、脱臭による蒸散残留率は一二分の一であるから漏出総量は二四〇ないし三六〇キログラムと算定され、蒸散残留率を低くみて一〇分の一とすると二〇〇ないし三〇〇キログラムとなる。

このように大量のカネクロールが食用油中に漏出したとすれば、脱臭缶の真空度が上らないなど脱臭装置の異変が生じたり(このことは《証拠省略》により窺われる)、カネクロールの異常減量をきたし、右脱臭作業に従事する係員は当然そのことを知りえたのでないかとの疑問を生ずるところである。

《証拠省略》によると、三田次男は昭和四三年一月三一日六号脱臭缶の真空テストに立会い、テストの関係でカネクロールの運転を途中でとめて地下タンクに戻した記憶はあるけれども当日カネクロールの補給をしたことは記憶していないと供述するのであるが、《証拠省略》によると、同日、三油興業株式会社九州営業所は、カネミ倉庫の依頼を受けて、一旦日新蛋白工業株式会社に納入していた五〇キログラムと吉富製薬株式会社から借受けた二五〇キログラムのカネクロールを合わせてカネミ倉庫に納入していることが認められ、このあわただしいとも言うべき補給状況からみても右の疑念は拭いきれないものがある。

6 工作ミス説は、右のような疑問を解消するのに巧みな説明が可能ではあるが、前記のように直接的な証拠であるべき樋口広次をめぐる一連の証拠並びに加藤八千代の公正証書がいずれも信憑力を欠き、《証拠省略》もにわかにこれを措信することができず、ピンホール説を覆すに足るだけの証拠に乏しい。

そして、これに一号脱臭缶の復元作業に基づき一号脱臭缶温度計保護管先端をアークで孔あけ作業を行った場合相対する蛇管に孔をあける確率はきわめて高いものである旨の《証拠省略》の記載や、昭和四三年二月中に同号缶が運転休止していたこと(このことは《証拠省略》により窺われる)及び事故ダーク油の出荷日が同年二月七日と一四日に限られているが、ピンホールから漏出したカネクロールの混入であればその前後の出荷のダーク油にもカネクロールが混入しているはずとの点を加え考慮しても、なおピンホール説を凌駕しうる程の合理的な証拠が存在するものとは認めることができないのであって、本件カネクロールの混入経路についてはピンホールによるものと認めるのが相当である。

第四控訴人の責任について

一  控訴人の責任につき、後記のとおり付加、訂正するほか、カネクロールの製造販売と過失の有無(原判決C130頁一三行目からC133頁八行目の「解し難い。」まで)、食品工業の熱媒体としてのカネクロールの推奨販売と過失の有無(原判決同頁一二行目からC134頁一行目まで及びC136頁六行目の「カネクロールを」から同頁一五行目まで)、カネクロールの毒性に関する控訴人の認識及びその可能性(原判決C138頁一四行目からC151頁七行目まで)、カネクロールの毒性に関する控訴人の指摘、警告の当否(原判決C154頁一六行目からC160頁一行目の「止まり、」まで)、カネクロールの金属腐蝕性に関する控訴人の認識及びその可能性(原判決C164頁四行目からC165頁一〇行目まで)、カネクロールの金属腐蝕性に関する控訴人の指摘、警告の当否(原判決C165頁一六行目からC168頁九行目まで)については、いずれも原判決理由説示のとおりであるからこれを引用する。

二  原判決C151頁七行目の次に改行して次のとおり付加する。

「4 《証拠省略》によれば、米国政府PCB合同対策本部のメンバーであったエドワード・J・バーガー・ジュニア及びジョン・L・バックリーらは、一九六八年の油症事件の時点以前においては、ポリ塩化ビフェニールの生物学的性質に関する知識は比較的なく、しかもこの物質への暴露がどの程度健康に害をもたらすのかということは殆んど知られていなかった、一九三〇年代及び一九四〇年代の間、工業的施設におけるPCBの毒性作用に関する散発的な報告があったけれども、工業上の取扱法や換気設備が改善されたことによってかゝる報告は急激に減ってしまった、また、本件油症発生前において、PCBは相対的に低い毒性を有しており、開放系用途に安全に使用でき、かつ開放系用途でPCBに接触してもなんら人間の健康に害を与えるものではないというのが専門家の全体的な意見であったとその宣誓供述書において述べているところであり、また、元九州大学医学部教授で薬理学を専攻している田中潔は、ドリンカー論文について、前記一九三九年五月のドリンカー論文が出されたことによってPCBは低毒性であると一般に理解されるようになったものであるが、ドリンカーはPCBの吸入実験を六週間続けたが生存ラットは外観上異常がなく殺して肝臓を調べても軽微な変化を見たにすぎない、とし、野村茂の研究についても、いわば亜急性実験であって慢性実験を行っていないと問題点を指摘するのであるが、当の野村茂は、PCBが動物や人間に毒性を発揮するうえで最も重要な性質は、その脂溶性と生体内の蓄積性で、油症のような著明で多彩な症状をもたらしたこの物質は急性物質を目印にして毒物の危険性を考える習慣にとらわれていた学界や行政に強い反省を喚起することになった、と述べている。

5 以上の事実によれば、PCBの毒性として最も重要なものは、PCBの化学的特性である脂溶性、難分解性、安定性から来る蓄積毒性にほかならないのであるが、本件油症発生前におけるPCBの毒性に関する研究は、主としてドリンカー、野村論文に示されるように化学工場等の作業員の健康、産業衛生といった観点から把握され、動物実験によるPCBの吸入、経皮による影響については検討されては来たが、急性ないしは亜急性実験の範囲に限られていたものであり、ドリンカーが一九三九年の論文において、塩化ビフェニールの毒性を示した一九三七年の報告を訂正して殆んど無毒であるとしたこともあって、全体的にみるとPCBは危険性の高い物質とは考えられていなかったが、もちろん無毒ではなく、労働衛生面からの注意は必要とされていたものであり、控訴人もこの点の認識は十分あったものと認められる。

そして、右にみた研究が化学工場の作業員の労働衛生、環境衛生という見地からのものであり、かつは野村論文に見られるように不十分ながらも危険性についての一応の警告がなされていたのであり、控訴人もこの点の認識はあったのであるから、わが国で他の企業に先き立ってPCBの生産を開始した控訴人は、とりわけPCBを食品工業の熱媒体用として企業化するに当たっては、それが人体に危険を及ぼすおそれの高い分野であるだけに、その毒性について不十分な研究に満足することなく、独自に動物実験等を行ってその毒性の程度や生体に対する有害作用を確かめ、又は他の研究機関に実験を委託するなどして安全性を確認し、その結果知り得たPCBの特性や取扱方法を需要者に周知徹底すべき注意義務があるのに、その労を惜しんでなんらの実験もなさなかった。」

三  原判決C160頁一行目の「止まり、」とあるのを「止まる。」と改め、その次に左のとおり付加する。

「しかしながら、控訴人はカネクロール(塩化ジフェニール)の毒性について前叙のとおり十分調査研究はしていなかったものの、これが有機塩素系化合物として毒性のあることは十分認識していたものであり、カネミ倉庫のような食品製造業者においてその毒性を調査するにも限度があり、専ら控訴人の提供する情報に頼らざるをえないのであるから、このような情報の提供はきわめて不十分であると言わざるをえない。

《証拠省略》によれば、カネクロールを取扱った食品工業界、例えば三和油脂、日本精米製油株式会社、不二精油株式会社においても、前記のようなカタログを読んで自然とその毒性を過少評価し、殆んどカネクロールの毒性を意に介せず、従業員に特に使用についての注意を与えることもなく、手にカネクロールが付着しても石鹸で洗う程度でことすませていた実情であった。」

四  原判決C169頁四行目から同頁一三行目までを次のとおり改める。

「八 まとめ

以上のとおり、控訴人には、カネクロールについて、少なくとも労働衛生の面からの危険についての注意喚起があり、その毒性を認識していながら、その安全性について十分に調査研究を尽すことなく、人体被害発生のおそれがあることの予見できる食品業界に右カネクロールを販売した過失並びに右販売に当たって当時控訴人が知り得たカネクロールの毒性、金属腐蝕性について十分情報を提供しなかった過失が存したものというべきである。」

五  控訴人の原審及び当審における因果関係遮断の主張については、原判決C177頁七行目の次に行を改め次のとおり付加するほか、原判決理由説示(原判決C169頁一四行目からC177頁七行目まで。ただし、フランジ説に関する部分を除く)のとおりであるからこれを引用する。

「三 控訴人は、カネミ倉庫にはカネクロールの大量漏出を知り、若しくは少くともこれを疑うべき事情にありながら食用油を出荷した過失があるので、控訴人がカネクロールの毒性について調査及び情報提供の義務を怠ったとしても本件油症との間の因果関係は遮断される旨主張するので検討するに、本件全証拠によるも、カネミ倉庫がカネクロールの大量漏出を知っていたとの確証は存しないが、その疑いをさしはさむ余地が多分に存在することは前示のとおりであるけれども、これまで認定してきたように、もともと本件油症事故の発端は、控訴人がPCBの毒性、安全性について十分調査、研究もせず、利潤追求のためにPCBを食品業界に熱媒体用として開発、提供し、これを販売するに当たっても十分な警告を尽さなかったことにあるので、大量漏出を知り得べきであったのに放置したカネミ倉庫の行為は誠に重大な過失というべきであるが、これを全く予見しえない範囲のものとも言い難く、相当因果関係は存在するものと認めるべきである。

また、控訴人は、本件油症の原因物質がPCBそのものでなくカネミ倉庫が過熱したことにより生成したPCDF又はPCQであって、当時PCBからこのような物質が生成されることは予想し得なかったものであるから、控訴人にはこの点に関する調査、研究義務もそれに基づく警告義務もないと主張するが、《証拠省略》によれば、PCQはPCBが二分子結合したもので人体にとって非常に吸収されにくいものであるが、毒性はPCBと大差ないものと言われ、PCDFについては原因のライスオイルからPCBの二〇〇分の一、約五ppmが検出されているところ、その毒性はPCBのおよそ一〇〇倍くらいと考えられているが、油症の原因として基本となるのはやはりPCBであって、それにこれらの新しい物質が加わり後記認定のように複雑な油症の経過を辿ったにとどまることが認められ、右事実からすれば、加熱を前提とする熱媒体の作用にカネミ倉庫の過熱が加わったとしても、そのことによって控訴人の責任が何ら左右されることがないことは言うまでもない。

結局、カネミ倉庫に右のような重大な過失を惹起させたのは、控訴人において、カネクロールの毒性及び金属腐蝕性等の欠点を認識し或いは認識可能性を有しながら、それらを十分に解明し、正しく指摘、警告することを怠ったまま、食品業界に熱媒体として推奨販売したという基本的かつ重大な過失に起因しているものであるから、控訴人の前記過失と本件油症事件との間に相当因果関係が存するものといわねばならない。」

六  控訴人の分割責任について

控訴人は、予備的主張として、仮に控訴人の行為が油症事故の発生に寄与したと認められるとしても、その寄与度はきわめて僅少であるから、その寄与の割合に応じた責任すなわち分割責任を負うべきであると主張するが、右主張は控訴人のいわゆる工作ミス説を前提に主張しているものと解されるところ、前叙のとおり、工作ミス説にはピンホール説を覆すに足りるだけの合理性に乏しくこれを採用することができず、控訴人の責任はカネクロール四〇〇という新しい化学物質を製造、販売する者が当然なすべき注意義務を怠ったことにより本件事故の端緒を作ったものであって、到底僅少な責任と言うべき筋合のものではないから、衡平の原則によって損害賠償責任を減縮すべきいわれはない。

したがって、右主張は採用することができない。

以上の次第で、控訴人は、民法七〇九条により、本件油症の被害者である被控訴人らに対し、後記損害を賠償すべき義務があるものといわねばならない。

第五損害について

一  油症の病像について

《証拠省略》を総合すると次の事実が認められる。

1 油症は、加熱されたカネクロール(PCBなど)の混入した米糠油を直接経口摂取し、或いは経口摂取した母親から胎盤又は母乳を通じて摂取することによって亜急性に発症した中毒疾患である。

2 油症患者とその診断基準の変遷

(一) 油症の臨床症状はまず皮膚粘膜症状としてきわめて顕著にあらわれたが、当初はその症状のすさまじさに目を奪われて他の症状などは稍軽視された感もあり、また内科的症状や臨床的検査所見に特異的、客観的な所見が乏しかったこともあって、油症の急性中毒期(初期)に作られた油症診断基準(昭和四三年一〇月、原判決D12頁三行目からD13頁四行目までのとおりであるからこれを引用する)は皮膚症状を中心とし、その重症度がそのまま油症自体の重症度であるかのように取り扱われていた。

(二) しかし、油症発生後数年を経過して油症が慢性期に移行すると、初期には激しかった皮膚粘膜症状は次第に軽快の徴候が認められるようになったが、一方臨床的には全身倦怠、食欲不振、不定の腹痛、頭痛ないし頭重感などの不定愁訴、手足のしびれ感、疼痛などの末梢神経症状、せきとたんの呼吸器症状などの内科的症状が年と共に前景に出て来て、前記診断基準が次第に現状に即しないものとなって来たことや、そのころから血液中のPCBを定量して診断に役立てることが可能になったことから、そういった有力な検査成績や研究の成果を採り入れ、昭和四七年一〇月二六日油症診断基準の改訂がなされた(改訂基準は、原判決D18頁七行目からD19頁末行までのとおりであるからこれを引用する。

(三) その後、油症治療研究班は、昭和五一年六月一四日に左記のとおり第三次の改訂を補遺の形でなした。これは急性期のみにみられた関節部の腫れと疼痛を省き、前記(二)の診断基準の検査成績から特徴性のない血液所見を省いて、油症に特徴的とみられる血清γ―GTPの増加と血清ビリルビンの減少を加えたにとどまり、内容的には第二次改訂基準との間に大きな変更はなかった。

3 油症の現状と治療法

(一) 油症は一般に全身的に多彩な自覚症状がみられ、他覚的には皮膚粘膜所見を主とするものであるが、このような多彩な症状の病理機序と治療方法の解明については、油症治療研究班を中心とする長年に亘る動物実験や患者の体内組織の各種検査の実施等の努力が払われ、かなりの成果をあげて来たとはいえ、未だに病理機序について解明し得ない部分が多く、有効な治療方法も開発されるに至っていない。

(二) しかも、油症の症状は一般的、経年的に軽快しつつあるものの、一五年の歳月をかけてもなお消滅するに至らず、また血中PCBの分析をみるに、血中PCBのガスクロマトグラムパターンを

(1) 油症患者に特有のものをAパターン

(2) それに近いものをBパターン

(3) 一般人(健常者)と区別がつけられないものをCパターン

の三つに分けた場合、油症患者の九五パーセントがAないしBパターンに属するのであるが、血中PCBの濃度が時日の経過とともに低下傾向がみられ現在では一般人と同じレベルの者も多いのに対して、右血中PCBのパターンそのものは容易に変動しないのであって、時日の経過にも拘らず不変の傾向を示している。このことはPCBの代謝、毒性ひいては油症の病態の複雑さを物語るものである。

(三) 治療の方針としては、体内にあるPCBの排泄を促進することが最も重要なことであるが、PCBが高度の安定性、難分解性、脂溶性、非水溶性、蓄積性といった性質を有する化学物質であるため、一旦体内に入ると脂肪組織と固く結合して体外に自然排泄することが困難である。今のところ、サルのPCB中毒実験による還元型グルタチオン、コレスチラミンの実験効果が期待されるにとどまり、原因物質を急速に代謝、排泄させ得るような根本的な治療法に到達していないのが現状である。

この関係で最も強力なPCB移動法、排泄促進方法として注目されたのが絶食療法であるが、右絶食療法施行の状況については原判決D60頁一五行目からD61頁一二行目までのとおりであるからこれを引用する。

油症診断基準(昭和51年6月14日補遺)油症治療研究班

油症の診断基準としては,昭和47年10月26日に改訂された基準があるが,その後の時間の経過とともに症状と所見の変化がみられるので,現時点においては,次のような診断基準によることが妥当と考えられる。

・発病条件

PCBの混入したカネミ米ぬか油を摂取していること。

油症母親を介して子にPCBが移行する場合もある。多くの場合家族発生がみられる。

・重要な所見

1. 座瘡様皮疹

顔面,臀部,その他間擦部などにみられる黒色面皰,面皰に炎症所見の加ったもの,および粥状内容物をもつ皮下嚢胞とそれらの化膿傾向。

2. 色素沈着

顔面,眼瞼結膜,歯肉,指趾爪などの色素沈着(いわゆる“ブラックベイビー”をふくむ)

3. マイボーム腺分泌過多

4. 血液PCBの性状および濃度の異常

・参考となる症状と所見

1. 自覚症状

1) 全身倦怠感

2) 頭重ないし頭痛

3) 四肢のパレステジア(異常感覚)

4) 眼脂過多

5) せき,たん

6) 不定の腹痛

7) 月経の変化

2. 他覚的所見

1) 気管支炎所見

2) 爪の変形

3) 粘液嚢炎

4) 血清中性脂肪の増加

5) 血清γ―GTP

6) 血清ビリルビンの減少

7) 新生児のSFD(Small-For-Dates Baby)

8) 小児では,成長抑制および歯牙異常(永久歯の萠出遅延)

註1. 以上の発病条件と症状,所見を参考にし,受診者の年齢および時間的経過を考慮のうえ,総合的に診断する。

2. この診断基準は,油症であるか否かについての判断の基準を示したものであって,必ずしも油症の重症度とは関係ない。

3. 血液PCBの性状と濃度の異状については,地域差職業などを考慮する必要がある。

(四) 油症の原因物質であるカネミライスオイルの分析が進行するにつれて、PCB加熱による変性物質の存在が問題とされるようになり、やがてPCBの誘導体であるPCDF(ポリ塩化ジベンゾフラン)及びPCQ(ポリ塩化クォーターフェニール)などが検出されたが、これらの物質はPCBに比較するとはるかに高い毒性を有するものと認められ、油症が当初の予想に反し重い症状と長い経過を辿って来たのはこれらの変性物質の作用によるものではないかと考えられる。

(五) 合併症の治療に当たっては、油症患者において神経、内分泌障害、酵素誘導などの症状があるため合併症を生じ易く、また合併症が重症化する傾向があるので、慎重な態度が必要であるが、中高年令者では加令と共に他の疾患を合併するものがみられ、その経過判定には複雑困難な場合もある。

4 ドーズ・レスポンスについて

(一) 中毒性物質の体内摂取によって発病する中毒性疾患では、おおむね摂取量と症状との間にドーズ・レスポンスすなわち原因物質の摂取量に応じて中毒症状が発生しその症度が決定される、という薬理学の原則がある。

右のような摂取量と生体反応の相関関係についての薬理学の原則を油症に適用して考えると、PCBは本来機能的、可逆的障害物質であり、油症の本態は人体の脂質代謝異常と肝臓における薬物代謝の誘導にあるから、皮膚のにきびが二次的に化膿して深部組織に及びはん痕を残すといった一部の器質的変化を除き、一時的な可逆的機能的変調を主とするものである。したがって、体内に摂取したPCBは減る一方で再び増えるということはないから、病気としては徐々に軽快して行くか急によくなるかいずれにしても軽くなるばかりで必ずいつかは全治するはずである。ただ、大量のPCBが体内に入った人は、排泄が非常に遅いために生存中に全治しえなかったということもあり得るし、体力低下に伴ういろいろの合併症併発のおそれがある。しかし、それさえなければ理論的にはいつかは治りうる病気である、とされるのである。

(二) 右の薬理学からの主張は、元九州大学教授田中潔氏の主張にかかるものであり、恐らく巨視的、理論的立場に立てば異論をさしはさむ余地はないものと思われる。

しかし、同時にこれまで公私の医療機関、油症研究治療班の懸命の努力にも拘らず、発症以来一五年の長きに及んでもなお未だに病理機序についても解明しえない部分が多く、治療方法も未確立であることを考えると、巨視的、基礎理論的にみれば一時的な機能的変調にすぎず、時の経過により全治しえないはずはないとしても、この未知の疾病のため長年に亘って悩み苦しんで来た患者にとっては、現在この瞬間を健康に生きて行くことこそ願って止まないものであり、近い将来に完治しうる保障もないまま、自分は果たして生きている間に全治しうるのかと思い惑うその不安と悩みに対し、率直に耳を傾けなければならないものと考える。

そして、その苦しみや合併症併発に対する不安等の中で次第に募って行く症状があったとしても、これを一概に心因性だとして油症とのつながりを否定しさることは十分な説得力を持つものではない。

まさしく、以上のような不安と辛抱の長い年月こそが油症患者にとって特徴的なものであったと言っても過言ではない。

二  症状各論

油症にとって特異的であり、かつ、重要と思われる症状について前掲各証拠に基づいて若干発症以来の推移を検討してみる。

1 皮膚症状

(一) 皮膚症状は他の疾病に類のない油症に最も特異的な症状であるが、皮膚症状に先行して眼症状(眼脂増加、上眼瞼浮腫)があらわれ、次いで皮膚症状と共に多彩な全身症状があらわれて来るという経過を辿ったものが多い。

(二) 皮膚症状の主たるものとして瘡様皮疹、毛孔の著明化、色素沈着等がみられた。

(1)  瘡様皮疹

全身とくに頬、耳介、耳後部、腹部、そけい部、外陰部等に発生する帽針頭大から豌豆大位の蒼白色ないし麦わら色の面皰様皮疹で、症状が進むと膿様のものが袋の形になる嚢胞を形成し、押すとチーズ状のものが出て来る。容易に炎症或いは化膿を起こし疼痛を伴うが、嚢胞状のものは薬物等の移行が抑制されるため他の化膿性疾患に比べると炎症が治りにくいので、初期の段階で重症例の治癒はきわめて困難であった。急性期の皮膚症状で最大の特色とみられたのが嚢胞形成であるが、三、四年経過すると激減し、その後は一部(耳介、耳後部、外陰部、臀部)に残っているにすぎない。しかし、重症者にあっては瘡様皮疹が治癒した後にも瘢痕(あばた)を残している例が多い。

(2) 毛孔の著明化

毛孔が開きそこに角化物がつまって黒点となって見える状態で、わきの下、そけい部等に多かった。大部分の症例では三、四年で消失したが、一部の重症者は最近まで持続していた。

(3) 色素沈着等

爪において顕著であるが、顔面、歯肉、結膜、口唇においても認められた。年月と共に減少し現在では大部分の症例では消失している。

なお、当初色素沈着と共に爪の変形とくに拇指爪の扁平化が認められる場合があり、爪が変形して爪床にくいこみその痛みのため爪をはぎ取る必要があることが多かった。

そのほか、少数ではあるが頭髪の脱毛を訴える者もあった。

(三) 油症発生後これまでの皮膚症状の推移を要約すれば

(1) 皮膚症状は全体的に減少、軽快の傾向を辿っている。

(2) 初期にはなかった新しい皮疹の出現はなく、皮疹の数や程度の変化と各種の皮疹のバランスの変化が起こっているにすぎない。

ということになる。ここで留意しなければならないのは、血中PCBパターンとの関係で、重症例はAパターンで始まるのであるが、皮疹が改善して重症度0となってもパターンはやはりAのままで持続していることであって、外見上は治癒したように見えてもこのような点からは決して完治していないと言うことが出来る、とされている点である。

2 眼の症状

(一) 眼の症状は油症の初発症状として著明であり、典型例では起床時に開瞼できない程の著しい眼脂の増加と眼瞼の浮腫、結膜の充血、異和感、視力低下などを自覚症状として訴える者が多く、また他覚的所見としては瞼板腺(マイボーム腺)の分泌亢進と結膜への色素沈着がみられた。このうち主訴となっている視力低下(視力障害)の多くは眼脂の増加による一過性霧視及び屈折異常によるもので、眼科的異常所見は認められなかった。また、自覚症状も現在では専ら眼脂増加が訴えられるだけで、その程度も起床時に自覚するという例が多い。その後瞼板腺病変は軽快しているが、色素沈着はなお残存している例が多い。

(二) このように現在では眼症状も軽快し、きわめて軽微な所見を呈するようになったが、一方では現在においてもなお瞼板腺圧迫排出物中のPCB濃度は血液中のそれのおおよそ一〇倍を示している。このことは瞼板腺にPCBが集り易いこと及び依然として瞼板腺になんらかの異変を生ぜしめていることを示唆しているものと認められる。

3 頭痛(頭重感)

(一) 油症患者において頭痛を訴える頻度は高く、頭全体とくに後頭部や両側頭部をしめつけるようにして持続性、非拍動性、非発作性の鈍痛があり、ひどい場合は殆んど毎日、しかも一日中続くと訴える例もある。年令的には一五才未満と一五才以上とを比較すると一五才以上がはるかに高い。年月の経過と共に皮膚症状が軽快するのに比べて慢性期に至っても頭痛、手足のしびれ感、全身倦怠感が残存し、かえって前景に立つようになったが、中でも頭痛はしばしば油症患者の主訴となっており、昭和四七年以来診断基準にも採り上げられた。

(二) 油症の頭痛に対しては鎮痛剤等の薬剤は殆んど効果がなく、有効な薬剤がない点が一つの特徴である。

眼底、四肢、脳波等の神経内科的検査によるも積極的に頭痛の原因となる異常所見を見出すことができず、血中PCBの濃度やパターンとも一切無関係であることや、一五才未満の子供には頭痛の訴え率が低く、絶食療法による著効例がみられること等から機能的要因による緊張性ないし心因性の頭痛ではないかとも考えられるが、はっきりした事は未だ判っていない。

4 胃腸症状

(一) 油症患者の訴えの中には不定の腹痛、下痢、悪心等の胃腸症状があり、中でも不定の腹痛は空腹時とか食後とかいった定時ではなく突然起きる激しい腹痛であって、下痢症状を伴うことも多く、患者のうちかなりの数の者がこれを経験し、日常生活に支障をきたす原因の一つに数えあげており、昭和四七年診断基準もこれを採り上げている。

しかし、レントゲン検査などの臨床検査によっても胃炎とか胃潰瘍といった器質的障害は認められず、ただ胃腸の運動亢進という所見が認められたにとどまり、死亡患者の解剖所見からも腸管や腸間膜に異常を見出せなかった。そこでこの腹痛は胃腸の過敏症ないし胃腸を支配する自律神経系の調節機能の障害によるものではないかと説明するむきもあるが、未だ仮説にとどまっている段階である。

(二) また、油症患者の腹痛をポルフィリン症と関連づける説もあるが、それも確定的に関係があるとしたものではなく、ポルフィリン症が存在する可能性を疑ったにすぎず、その診断については、尿の検査をすれば色の変化及びポルフィリン誘導体が存在することによってたやすく判明するのに、これまでになされた油症患者の尿検査の中には該当するような検査結果は見当たらないので否定的に解される。

5 呼吸器症状

(一) 油症患者の多くは皮膚症状とほぼ同時期から呼吸器症状が出現し、昭和四五年七月までの調査では患者二〇三名中四〇パーセントにたん、せきがみられ、三〇ないし四〇パーセントに胸部レントゲン所見として線状影、網状影が認められ、さらに一〇パーセントの例症として小葉性或いは無気肺性陰影が加わっているのが認められたが、これらの症状は慢性気管支炎類似のものとされた。

これは、腸から吸収された脂質の七〇ないし八〇パーセントが腸管を経て肺に達するが、肺が活発な脂質代謝を行っているためPCBが肺の脂質代謝経路を通って末梢気道から肺胞表面にかけて排泄され、たんとして喀出されることにより、PCBの排出経路となっていることに由来する。したがって、初期の段階では患者にたんが多く気道への感染を受け易いこともあって、呼吸器症状が治癒しにくい状態であった。

(二) 呼吸器症状と血中PCB濃度との間には相関関係があり(血中PCBパターンとの間には関連性は見出せない)、その後血中PCB濃度が低下するにつれて呼吸器症状も全体として改善傾向が見出される。しかし、血中PCB濃度が高い患者において慢性気道感染症の状態が約半数も存在しており、しかも緑濃菌感染の頻度が高くなる傾向にあるので、今後の観察が必要とされる。

6 油症児について

(一) 油症児として特に問題とされるのは、油症の母親から生れ、PCBが胎盤を通して移行した結果出生のときから特異な症状を呈する経胎盤油症児と、母親が汚染油を摂取して油症となり、PCBが母乳を通じて移行した結果油症となった経母乳油症児である。

(二) 経胎盤油症児は、在胎週数に比較して生下時体重が小さく、出生時全身皮膚への異常色素沈着(灰色がかった暗褐色)がみられたため「黒い赤ちゃん」と呼ばれ、PCBが世代をこえて発症するものとして世間の耳目を集めた。そのほか皮膚の乾燥と落屑、眼脂の増加、歯肉部の異常肥大と凹凸状態がみられ、これらが特徴としてあげられる。母親がカネミライスオイル(汚染油)の摂取を止めて数年を経た後になってもこの「黒い赤ちゃん」の出生は続き、PCBの恐しさを示している。

その後の経過観察によると、黒皮の症状(色素沈着)は生後二、三か月で軽快、消褪し、出生後の発育も男児の体重が標準値より小さいが標準発育曲線にほぼ平行して増加し、運動機能、精神面の発達の遅れも別段みられなかった。また、昭和五〇年長崎県五島地区で行った健診の結果では、受診者全員が標準偏差値の範囲に入り正常の成長発育を示しているとの結果が出された。本来の成長曲線に戻ったものとして、いわゆるキャッチアップ現象が油症児にも認められたものとされている。

また、経母乳油症児は、母乳中のPCB濃度が著しく高くそれが濃縮されるため重症になるのではないかと心配されて来た。それを明らかにする研究成果はみられないが、血中PCQレベルの分析を通じて、PCQは母胎内暴路(胎盤を通して胎児に移行すること)よりも母乳を通じての暴露の方が問題であるとするむきもある。経母乳油症児も成長が抑制され、身体、体重とも増加が止まったが、昭和五〇年長崎県五島地区で行われた小、中学校の健診の結果では、八ないし一〇才の男子には未だ成長抑制の傾向があるが、全体としては健常児との間に有意の差はみられないとの結果が出された。

しかし、他方では両者を通じて乳歯が抜けても永久歯が生えるのが著しく遅れたり、歯の根元を欠く歯牙異常の例が多くみられ、これらの成長抑制が一時的なものと言えるかどうかこれからも観察し見守って行く必要がある。

7 被控訴人らの個別的な症状、発症以来の経過については、後記原判決理由説示のとおりであるからこれを引用する。その後の著明な変化等については別紙〔三〕油症患者被害認定一覧表記載のとおりである。

(一) 窪田一家について

原判決D72頁九行目からD73頁一〇行目まで、うち窪田元次郎については同頁一一行目からD77頁一〇行目まで、窪田絹子についてはD78頁一四行目からD81頁二行目まで、渡辺理恵子については同頁末行からD84頁一行目まで、井上真理子については同頁四行目からD86頁六行目までのとおりである。

(二) 佐藤一家について

原判決D86頁一〇行目からD87頁五行目まで、うち佐藤俊一については同頁六行目からD88頁末行まで、佐藤保子についてはD89頁三行目からD90頁末行まで、佐藤英明についてはD92頁三行目からD94頁九行目まで、佐藤和哉についてはD95頁二行目からD96頁末行までのとおりである。

(三) 田中一家について

原判決D159頁三行目から同頁末行まで(ただし、同頁七行目に「明治三二年七月二七日生」とあるのを「明治三二年一月二七日生」と訂正する)、うち田中浦助についてはD160頁一行目からD161頁九行目まで、田中彰子についてはD162頁二行目からD163頁七行目まで(ただし、D163頁三行目に「Bパターン」とあるのを「Aパターン」と訂正する)、田中一哉についてはD164頁一行目からD165頁四行目まで、田中美恵子についてはD166頁一行目からD167頁五行目までのとおりである。

(四) 水俣一家について

原判決D97頁一二行目からD98頁一〇行目まで、うち水俣安臣については同頁一一行目からD101頁九行目まで、水俣由紀子についてはD102頁八行目からD105頁一三行目まで、水俣圭子についてはD107頁一行目からD108頁末行まで、水俣京子についてはD109頁一三行目からD111頁三行目までのとおりである。

(五) 尻無浜一家について

原判決D188頁四行目からD189頁一行目まで、うち尻無浜美敏については同頁二行目からD190頁四行目まで、尻無浜峰子についてはD191頁二行目からD192頁九行目まで、尻無浜美子についてはD193頁三行目からD194頁四行目まで、尻無浜麻利子については同頁一三行目からD195頁一〇行目までのとおりである。

(六) 樋口一家について

原判決D177頁六行目からD178頁五行目まで、うち樋口泰滋については同頁六行目からD179頁七行目の「明白でない」まで及び同頁一〇行目の「しかし」からD180頁五行目まで、樋口ヒサについてはD181頁六行目からD183頁四行目まで、樋口英俊についてはD184頁一行目からD185頁一行目まで、樋口達谷についてはD186頁八行目からD187頁九行目までのとおりである。

(七) 右田一家について

原判決D150頁一三行目からD151頁九行目まで、うち右田昭生については同頁一〇行目からD153頁四行目の「認められている。」まで、右田瓊子についてはD153頁一一行目からD155頁六行目まで、右田博美については同頁末行からD156頁一五行目まで、右田久美子についてはD157頁九行目からD158頁八行目までのとおりである。

(八) 川越一家について

原判決D167頁一五行目からD168頁一三行目まで(ただし、D167頁一五行目の「川越恭甫」の次に「同川越和」を加え、同行目及びD175頁二行目の「川越光枝」とあるのを「小柳出光枝」と改める)、うち川越恭甫についてはD168頁一四行目からD169頁一五行目まで、川越和についてはD170頁一一行目からD172頁三行目まで、川越克明については同頁一五行目からD174頁五行目まで、小柳出光枝についてはD175頁三行目からD176頁一〇行目までのとおりである。

(九) 村山一家について

原判決D120頁一〇行目からD121頁一〇行目まで、うち村山博一については同頁一一行目からD123頁六行目まで、村山千枝子についてはD124頁七行目からD125頁末行の「認められている。」まで、村山直也についてはD127頁二行目からD128頁一〇行目まで、村山啓子についてはD129頁五行目からD130頁一三行目までのとおりである。

(一〇) 渋田一家について

原判決D111頁一三行目からD112頁一〇行目まで、うち渋田正男については同頁一一行目からD114頁五行目まで、渋田テル子については同頁一五行目からD116頁七行目まで、渋田勝彦についてはD117頁四行目からD118頁七行目まで、渋田真理子についてはD119頁一行目からD120頁一行目の「特に認められていない。」までのとおりである。

(一一) 国武一家について

原判決D131頁九行目からD132頁九行目まで(ただし、原判決D131頁九行目に「国武紀子」とあるのを「山本紀子」と改める)、うち国武信子についてはD142頁一四行目からD144頁八行目まで、国武寛についてはD145頁九行目からD146頁一〇行目まで、山本紀子についてはD147頁六行目からD148頁八行目まで、国武幸子についてはD149頁六行目からD150頁四行目までのとおりである。

三  油症患者の死亡について

1 《証拠省略》及び鑑定人占部治邦らの鑑定の結果によれば、本件を含む全カネミ油症患者死亡者の平均年令は六四・六才であるが、すでに基礎疾患を持っていた者が油症に罹患したことによって何らかの負荷因子となったこと、例えば慢性の気管支炎が悪化するといった可能性は否定することができないけれども油症そのものが原因となって死亡したという確証はなく、各死亡者の死因と油症との間の因果関係は結局不明と言わざるをえないことが認められ、右認定に反する証拠はない。

2 亡国武忠の油症罹患以来死亡に至るまでの経緯は、原判決理由説示(原判決D132頁一一行目からD136頁九行目まで)のとおりであるからこれを引用する。

右事実によると、右亡国武忠は、断食療法を開始するときすでに肺炎に近い気管支炎、心臓の衰弱等の徴候を有していたが、本人の強い希望もあって一応七日間に及ぶ断食療法を施行したものの、その終了後数日を経過せずして病状が急変し、まもなく死亡したものであって、同人の死因(気管支炎に急性肺炎を併発、これに心臓衰弱が重なったため)と油症との間に直接の因果関係はないものと認めるのが相当である。

原審証人今村基雄の証言によっても、右国武忠の急変の背後に油症が潜んでいることは否めないとしても、経験ある断食療法の施行者としては右国武忠のような症例においては断食療法の施行、継続に当たって余程慎重に配慮し、これを避けるのが相当であったことが窺われ、他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

被控訴人国武信子ら右国武忠の遺族は、同人の死亡による逸失利益を損害として請求するものであるが、右は同人の死亡と油症との因果関係が認められない場合には同人の被った損害の賠償として慰藉料請求をする趣旨のものと解される。

四  症状鑑定について

当審において、被控訴人ら油症患者全員に対しては油症による障害の程度及び軽快の推移並びに死亡者に対しては死亡と油症との因果関係、死亡に至るまでの油症による障害の程度及びその推移についての症状鑑定を行った。

九州大学医学部教授占部治邦を代表世話人とする一一人の鑑定人によって被控訴人らの患者カード、油症患者検診票、カルテ等に被控訴本人らの陳述書を加えたものを基礎資料として症状鑑定が行われた。この鑑定に当たっては、内科、歯科、皮膚科、神経科、眼科、産婦人科、小児科及び血中PCB濃度分析の各専門分野から鑑定人が選ばれ、これまでの診断の経緯に鑑み皮膚症状と内科的症状とを二つの大きな柱として、各分野ごとにそれぞれ概括的な診断基準を設け、それらの基準に沿って各鑑定人が各患者毎の全資料を点検して一応のランク付けをなし、さらにそれを鑑定人会議で検討する手続をふんだ。その結果次のような症度の分類がなされ、これに基づいて鑑定書記載の各被控訴人ら油症患者のランク付けがなされた。

症度4(重症) 常時医療を要し、日常生活においてしばしば休養を要するもの

症度3(中等症) 症度4と症度2の中間の程度のもの

症度2(軽症) 日常生活に支障はないが、なお若干の症状を有するもの

症度1 ほとんど症状のないもの

本件油症患者らに対する症状鑑定の結果(症度分類)は、別紙〔三〕油症患者被害認定一覧表中「症度」欄記載のとおりであり、同欄に前期とあるのは昭和四三年から同四五年、中期は同四六年から同五〇年、後期は同五一年以降を示すものである。

五  症度と慰藉料額の算定について

本件油症は、すでに認定したとおり、人の生命を維持して行く上に不可欠であり、しかも誰もが絶対に安全であると信じていた食用油中に毒物が混入されて惹起されたものであり、被控訴人ら被害者にとってこれを避けようとしても避けることができなかったことが特徴的である。

そこで、当裁判所としては、発症以来原審判決に至るまでの被控訴人ら各人の症状、その後の病状の推移、前記症状鑑定の結果その他諸般の事情を参酌して症度の判定をなし、これに前記のような本件の特殊事情をも考慮して、次のとおりの基準によって慰藉料額を算定する。すなわち、油症患者に対する症度区分として基本的には重症、中症、軽症、ごく軽い症状の四段階に分類するが、さきに認定したように、油症患者が発症以来一五年に及ぶ歳月の中で軽快の傾向にあるものの一部の症例においては依然として頑固な症状が継続し、生活に支障をきたしているところがあるので、それらの症状を有する者を特別に、それぞれ最も重い症状、中症の上、軽症の上として格付け勘案することにした。

そうすると、前記症度に応じて慰藉料の額は

最も重い症状    一、二〇〇万円

重症         一、〇〇〇万円

中症の上       八〇〇万円

中症         七〇〇万円

軽症の上       六〇〇万円

軽症         五〇〇万円

ごく軽い症状      四〇〇万円

と定めるのが相当である。

ただし、油症発生後の病状とくに長期又は難度の入院歴、現在に至るまでの生活状況、生活破壊の程度等を考慮し、右症度分類による基準額によっては未だその損害を補完するに足りないと認められる特段の事由がある者についてはその事情に応じ加算することにした。

右により、被控訴人ら各人の本件油症被害による慰藉料額は別紙〔四〕認容金額一覧表記載の「慰藉料金額」欄記載の金額をもって相当と認める。

六  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、被控訴人らは被控訴人ら訴訟代理人である各弁護士に本件訴訟の提起、追行を委任し、右代理人らが本件第一、二審を通じて訴訟活動を行ってきたことが認められ、本件訴訟の難易及び集団性、特異性、認容額等を考慮し、それぞれ認容した慰藉料額の約五パーセントに当たる別紙〔四〕認容金額一覧表中の「弁護士費用」欄の各金員をもって各被控訴人らの本件事故と相当因果関係にある損害と認めるべきである。

七  結論

以上の次第であるから、被控訴人らの本訴請求は別紙〔四〕認容金額一覧表中の「認容金額」欄記載の金額及びこれに対する本件不法行為発生後であることが明らかな昭和四四年二月二八日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当であるが、その余は失当と言わなければならない。

よって、右と趣旨を一部異にする原判決を主文のとおり変更し、訴訟費用の負担について民事訴訟法九六条、八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 美山和義 裁判官 谷水央 裁判官 足立昭二)

〈以下省略〉

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